2019年1月-12月

例年通り、1ヶ月ごとに1年を振り返ります。余裕ができたら写真を追加します。

1月

2019年12月にヨーロッパ旅行した後、日本に一時帰国して、年明け前にはプラハに戻り、プラハで年明け。あちこちで花火が上がりインドのディワリの様だった。

下旬には知人の手術に同伴するため一時帰国。年末に会った時より容態が悪化していたようで可哀想だった。手術前に「万が一の時は…」という話になった。

東大病院に行ったのは今回が初めてだった。大学病院勤務は医者も看護師も精神的にも肉体的にも大変そうで可哀想に思えた。

手術前日に泊まったホテルが以前住んでいたアパートの近くだったので散歩に行ったが、あの木造アパートは既に解体され更地になっていた。一年中通っていた近所の古風な銭湯もアパートに建て替えられていた。

あの頃はよく、あのアパートの二階の一室で布団にくるまって天井の木目模様を見ていた。僕は今でもあの時に天井を見ながら考えていたことを覚えている。あれから随分時間が経ってしまった。

長時間に及ぶ手術の間は待合室で待機していた。前日あまり寝れなかったので待合室ではほぼずっと寝て過ごした。部屋の一角に畳が敷いてあり横になれるようになっていた。ありがたい気遣いだと思う。

そういえば、帰国した時LOTを使ってワルシャワ乗り換えで帰国した際、預け入れの荷物の搬送が間に合わず、baggage lostの憂き目を会う。普段履いている靴を預け入れの荷物に入れてサンダルで搭乗したので、寒空の下空港から実家までサンダルで移動した。

自分も健康を維持できるようにと、Apple Watchを購入して運動量などを計測することにした。2018年の年末に購入したSONYのヘッドフォンを使ってオーディオブックを楽しみ始める。

手術は無事終了して僕はプラハに戻る。手術後に医師が見せた安堵の笑顔が格好良かった。

プラハの研究室では自分が使っていない大部屋で作業している人たちの間でインフルエンザが流行る。咳をしながら勤務した人と同室の人々が順々に病に倒れていったのは、端から見て非効率だった。

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6 Responses to 2019年1月-12月

  1. masterq says:

    NICTAの何が悪い要因だったのか知りたいです。。。

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    • yutakang says:

      コメントありがとうございます。
      主に「NICTAは政府から払われた研究資金に見合った研究結果が出せなかった」という批判をその研究者はしていました。

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      • masterq says:

        なるほど、、、厳しいですね、、、でもあの人数の証明士を雇用するには人件費がかかって当然とも僕には思えました。

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      • yutakang says:

        前のコメントをもっと正確に書き直します。
        彼は「オーストラリア政府からNICTAに払われた研究資金の費用対効果がオーストラリア国内のNICTAと連携していない大学のそれと比べて低い」と批判していました。

        証明士を雇用しているのはNICTAの一研究室に過ぎず、NICTAには機械学習やソフトウェアエンジニアリングなどの研究室がありました。
        更に、証明士達はオーストラリア政府以外から支払われるお金で雇用されていると思うので、彼の批判の範囲外だと思います。

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      • masterq says:

        ありがとうございます。個人的にはseL4には頑張っていただきたい気持ちがあったのでショックが大きい情報でした。

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      • yutakang says:

        彼の意見に関わらずseL4の人たちは地道な努力を続けていくと思うので、大勢に影響はないと思います。

        ただし、「この研究室では堅実な作業を続けているが、研究の新規性があまりないのではないか」という指摘は内外で何度か聞きました。自分が参加していたプロジェクトに対しても同様の指摘を受け、プロジェクトの参加者たちが返答に困ったことがあります。

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