12年間世界一周

初めて買った国際航空券:12万円。語学学校の授業料:1700ドル。道中で盗まれたパソコン:20万円。世界一周しながら過ごした20代:プライスレス。12年かかりましたが、小さなの頃の夢だった世界一周を先日完了しました。

このブログでは世界一周の話はほとんど出て来ませんでした。自分でも世界一周をしている自覚はありませんでした。しかし、12年(11年と11ヶ月)かけて世界一周していたことに、終わってから気づきました。

12年前の夏、大学の所属学部が開催している夏の短期留学に参加しました。現地集合、現地支払い、現地解散の4週間の語学研修でした。研修先は全米でも有数の美しいの大学で、まるで風光明媚な観光地を旅行していようでした。前半は大学構内の寮に滞在、後半は地域住民の家に泊まりました。政治の話をした時に、障がいをもっていたホストファミリーの方が真剣な眼差しで「人々は政府からの福祉に依存するのではなく、自分の力で生活出来るよう努力するべきだ」と言われていたのが今でも記憶に残っています。

ホストファミリーや受け入れ先の教授にいろいろな場所へ連れて行ってもらったのですが、一番記憶に残っているのは初めての週末。同級生10人程とSan Franciscoの街を観光することになり、まずは観光名所のGolden Gate Bridgeにみんなで行きました。San Francisco側から橋に登ってみて、写真を撮って、他の10人が「次の観光名所(美術館?)に移動しようか」と話し始めたところで、「この橋、登ったからには、渡るべし」と思い立ちました。「一緒にSan Francisco観光を始めたばかりなのにもう個人行動?」とキョトンとした同級生達を尻目に、一人で霧に包まれたGolden Gate Bridgeを渡り歩き、対岸からSan Franciscoの街を眺め、そのまま隣町まで歩き続け、船でSan Franciscoへ戻り、日が暮れて霧に包まれたSan Franciscoで道に迷った後に、なんとか大学寮まで戻りました。

今思えば、この日が人生の分岐点。一度一人で未知の世界を歩く味をしめてしまった自分は、橋を渡る前とは何かが違いました。中学くらいから思い描いていた「海外で生活したい」、「海外で活躍したい」という淡い思いが「いつかここに戻って来て生活したい」、「日本で余生を過ごすわけにはいかない」という意思へと変わりました。

当時はまだクレジットカードを持っていなくて、クレジットカード社会のアメリカでトラベラーズチェックを持ち歩いていました。2017年現在、トラベラーズチェックはもう発行されていないと思います。

あれから12年。中米、アジアに数ヶ月ずつ滞在して、インドでインターンシップ、ドイツで修士号を取得、オーストラリアで数年働きました。

今年の夏は、ACM主催のTuring Award50周年記念の催しに招待されました。航空券代と滞在先のホテル代はACMが負担してくれるだけでなく、開催地はあのSan Francisco。12年ぶりのSan Franciscoに期待に胸を膨らせていました。

滞在先のWienでしつこく渡米目的や就労予定の有無を聞かれ拡大鏡でパスポートを確認された後に、Canada経由でSan Franciscoへ到着。到着ゲートの外側に預け荷物用のカルーセルがあるのに、12年ぶりに驚きました。しかし、12年ぶりに訪れたSan Franciscoは、記憶の中のそれとは大分違いました。12年前に始めて渡米した時は、

  • ガイドブック片手に街を歩けば頼んでもいないのに道案内してくる人達が現れ、
  • レストランに入れば従業員たちが楽しそうに働いていて、
  • 市バスに乗れば、他人同士が冗談を言って談笑していた

ように覚えていたのですが、今回は

  • 空港と市街地を繋ぐ電車は、老朽化のためか大きな騒音を出しながら走り、
  • 電車を降りてホテルへ行こうとすればひったくりに会い、
  • 大通りを歩けばホームレスだらけで、
  • 市バスに乗れば身体の不自由な障がい者が異臭を放っていました。

この12年間、San Franciscoとその周辺は経済的大成功を収めた場所として幾度となく紹介され、多くの技術者達の憧れの場所として知られていた地域だけに、期待との差が大きかったです。

心の隅に抱き続けてきたこの街への憧れは、初めての海外で見るもの全てが新鮮に映ったが故の幻想だったのか、それともこの街(の一部)が現実に衰退したのか。きっと両方だろう。そんなことを考えながら12年ぶりにGolden Gate Bridgeへ登ると、12年前の様に霧がかかっていました。橋の上で振り返ると、あの時の英語研修の同期を思い出しました。みんな元気にしてるかな。

まだ10代だった自分がGolden Gate Bridgeを渡った時は日本から渡米して、今回30代の自分は欧州から渡米しました。振り返って考えると、San Franciscoから西回りで世界一周をしていたことに気づきました。せっかくだからまた橋を渡ろうかな、と思いましたが、少し腰痛がぶり返して来ていたので諦めました。もう、橋の向こう側も見てしまったし。

12年間で、自分の中でのfrontierという言葉の響が変わりました。20代前半まではfrontierといえば、自分にとっての未開の場所、まだ訪れたことのない場所を思い浮かべました。20代後半ごろから(もともと強くはなかった)新しい場所・国・街へ行くことに対する興味が更に薄れて、自分にとってのfrontierといえば、技術の最先端領域を意味する様になりました。

世界一周をしながら過ごした20代を振り返ると、上手く行かなかったことばかりなのに、なぜか不思議と満ち足りた気持ちになります。30代に入り気力と体力が落ちつつあるのですが、せっかく念願の博士留学を開始できたので、これからも自分にとっての未知の領域を開拓していきたいです。

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2 Responses to 12年間世界一周

  1. Karen says:

    こんにちは、私は大学三年生のものです。
    一つだけお聞きしたいのですが、
    ドイツでの留学、その他含めまして
    無料の学費以外の生活費やその他諸々はどのようにした
    工面されましたか?

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    • kaerumi says:

      コメントありがとうございます。なぜか通知に気が付かず返信が遅れてしまいました。
      日本で多少の貯金があり、奨学金を受給でき、留学先の大学でのアルバイトにつけ、片親も援助してくれました。
      アパート代以外は、割と質素な生活を送っていたので、生活費などはそれらで十分でした。

      当時は(多分今も)、ビザ申請の時に、生活に最低限必要な財力があることを証明する必要がありました。
      DAADの奨学金は催しものへの参加(任意・義務)もあり、経済的な援助以外の部分も充実していました。

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